レンタルスペース リノスペ 〜レンタルスペースをカルチャーに!〜

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月刊リノスぺチーム #02

「平和を愛する管理責任者 石井泰成」について

レンタルスペース事業を通じて、「平和な場所」をつくりたい

レンタルスペース「リノスペ」を運営しているスタッフは、基本的にはご利用いただくゲストと顔をあわせることはありません。 

でも…カフェやショップのように、スタッフの人柄や想いがお客さまに伝わって、「こんな人たちが関わっているスペースって面白いな」と少しでも感じてもらえたら嬉しいな、と考えています。 

先月より、リノスペチームのメンバーがどのような人生を歩んできて、どのような想いで今の仕事に関わっているかを、プロのライターが取材し、ご紹介する「月刊リノスペチーム」がスタートしました!創刊号、第2号をお読みいただけたでしょうか。よろしければぜひ併せてお読みくださいませ。

第3号は、平和を愛する運営管理責任者、石井泰成が主役です。

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目次

  1. はじめに
  2. 小学5年生の自分の心に刺さった言葉
  3. 15年間の野球経験がくれた大切なもの
  4. 人生における「揺るぎない価値観」
  5. 座右の銘は、「右向け左」
  6. 日本縦断中に「知らない自分」を知った
  7. どん底を知る人生の先輩がくれたワクワク
  8. レンタルスペースとお客様をつなぐための秘訣
  9. 主体性が育まれたある習慣とは
  10. リノスペを通じて目指したいこと

はじめに

 「リノスペ」は、リノベーションによるレンタルスペースだ。2019年7月に高輪1号店をオープンし、今年1月までは5店舗だったが、そこから急成長し、現在都内に月5件ペースで出店。2022年10月3日時点では20の店舗を運営している。それら店舗の担当者とコミュニケーションをしながら集客や運営管理の責任者として働いているのが、石井泰成さん。オールド不動産の代表である竹越達哉さんとのご縁・人柄から2022年の3月に入社を決意した。

https://note.com/embed/notes/n9cc5516125a4
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泰成さん。趣味はゴルフ。

逆の立場になって考えることを大切にしています。サイトを通じてスペースをご予約いただくお客様の中には慣れていなかったり不安な気持ちもあると思うんです。なので、メッセージや電話での問い合わせを受けた時に、少しでも安心感を感じていただきたいんです。簡単に理解しやすいように伝えることはもちろんですが、機械的な対応ではなくあたたかい人間味を感じていただけるように嬉しさ・楽しさといった感情を文字や声のトーンに入れることを意識しています。なので、利用後にお客様から“対応がものすごく良かった”といってもらえた時はすごく嬉しいです」


「レンタルスペースをカルチャーに!」
をスローガンに2025年7月までに都内400件のレンタルスペースを作ることを目指しているリノスペ。そのゴールに向かう泰成さんの熱意は凄まじい。

「前向きに頑張る人が活躍できるスペースを提供したい」
「チームや居場所って人生を豊かにするためにはめちゃくちゃ大事じゃないですか」

これらの言葉の背景にある、泰成さんの人生ストーリーに迫ってみた。

小学5年生の自分の心に刺さった言葉

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小学生高学年の頃

泰成さんが小学5年生だったある日のこと。全校生徒数は120人、1学年18人の岡山の小学校に通っていた。

休み時間はクラスメイトとよく「フットベースボール」(野球とサッカーを足して2で割った球技)をしていたという。

園児の頃から人見知りをせず、勝負事になると燃える性格。この日、泰成さんのチームは敗れた。悔しさとイライラがおさまらず周りにあたってしまう・・・。その時、クラスメイトが自分から離れていく雰囲気を強く感じたという。

「これはヤバい!!と思ったんです。そのときに頭に浮かんだのが、“逆の立場になって考えろ”でした。これは両親がずーっと言い続けてくれていた言葉なんですけど、このタイミングで胸に刺さったのをすごく覚えています」

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泰成さんのご両親

自営業を営んでいるご両親は、人に対して誠実な性格だ。

「人に優しい人間であること」
「人の悪口は言わないこと」
「されて嫌なことは人にはしないこと」

泰成さんはこういった言葉を家庭環境で自然と聞いていたのである。

「両親は口だけの大人ではなかったです。父はPTAで活動したり野球チームの監督をしながら子どもたちに寄り添っていました。なのでみんなが父のことを知っていました。行動する姿を見て育ったので尊敬していたんです。そんな両親の影響がぼくの性格を形成していったと思います」

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小学生低学年の頃


石井家の家族構成は、泰成さんと父、母、4つ年上の姉、3つ年上の兄、2つ年下の妹。4人兄弟の3番目だった。

「小学生5年生の夏休みのある日のことだったんですけど、父はいつもぼくが寝る前まで話を聞いてコミュニケーションをとってくれてたんです。それで夜中にトイレで起きたら、家の隣の事務所の照明がついていて・・・うわぁ!夜中に仕事してくれてるんだ!さっきまであんなに遊んでくれてたのに!って驚きました」

愚痴や不満を言わず、逆の立場になって考えて相手のために今できることをする。そんな父が「カッコいい大人の象徴」だったのだ。

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大学生の頃、ご両親と


15年間の野球経験がくれた大切なもの

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園児の頃

幼稚園の年長の時、バースデーカードには、「サッカー選手になる」と夢を書いていたという。

「7歳になった時にサッカークラブに入りたいと母にお願いしたら”遠いからダメ、野球なら良いよ”と言われたんです。兄がすでにソフトボールのチームに入っていたのでそこに連れて行ってもらったんです。それでみんなのプレーを見てカッコいいなぁと思ったのでチームに入って、それから15年間プロ野球選手を目指していました

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所属していたソフトボールチーム


プロ野球選手を目指していたこともあり、プレイ中は常に真剣。小・中学校ではキャプテン、高校では副キャプテンを勤めた。リーダーの立場ゆえに負けた時には自分の責任を強く感じることも多かったという。

もっとこうしていれば失点にならずにすんだんじゃないか、と負けた時は自分自身の行動を後悔していました。なので、リーダーとしてメンバーへの気遣いやケアを充分にできていたとはいえません。それよりも、チームの先頭に立ち、みんなを引っ張って甲子園に行くにはどうするか、ばかりを考えていたんです」

父のように愚痴・不満を言わず背中で伝えられる男でありたいと思っていたのだろう。しかし、メンバーは感情や意思を持つ人間。1人1人違う性格のメンバーとのコミュニケーションを通じて、伝えることの難しさを感じながらもどうすれば伝わるのかを実践する機会になったという。

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高校野球部の頃

まもなく高校2年生になる3月のある日。甲子園を目指す泰成さんに困難が立ち塞がった。骨挫傷(こつざしょう)になり、1ヶ月動けなくなってしまったのである。春の県大会には準決勝からベンチ入りできたものの、十分に動かせる体ではなく、その後もなかなか回復しない・・・。もどかしい気持ちを抱えながらリハビリに臨み、夏の大会前には間に合わせた。

人生における「揺るぎない価値観」

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甲子園出場のための夏の県大会の前の練習試合の日のこと。この練習試合で結果を出せなかったら、県大会予選のベンチにも入れないという状況・・・そこで泰成さんの出番がやってきた。

「代打で入らせてもらった時の気持ちは、絶対やってやるという気持ちでいっぱいでした。2打席連続でホームランを打てて、県大会予選のベンチに入ることができたんです。かなり嬉しかったです。ただ、嬉しい反面、ぼくがベンチ入りしたことでベンチ入り予定だった3年生と入れ替えになったんですね。先輩がめちゃくちゃ号泣していて声をかけることもできませんでした。なので、この先輩の分まで頑張って絶対に甲子園に行くんだ!!と決意しましたね」


その後、県大会予選を勝ち進み、優勝。
甲子園出場の切符を手にしたのだ。

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甲子園出場決定時

野球を通じて、チーム、応援してくれる人のため、誰かのために打ち込むことの大切さと、人は一人では生きていけない、支えられて生きているという感謝の精神が培われたのだという。

「甲子園出場が決まった日に、岡山を出て大阪の大学に通う兄から連絡があって、“甲子園に行ってくれてありがとう!両親を連れて行ってくれてありがとう!”と言われた時に、号泣しました。あと認知症の祖母も甲子園に出場できることを理解してくれて、周りの人たちにすごく自慢してくれていたんです。野球をやっていてよかったなぁと思いました」

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祖母、兄弟と
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甲子園出場時

残念ながら甲子園優勝はならなかったものの、野球を通じて人生を豊かに生きる上での大切な「チームでゴールを目指すことの素晴らしさ」を実感し、泰成さんの中の揺るぎない価値観となったのである。


座右の銘は、「右向け左」

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テレビの制作会社でADとして勤務していた頃

大学の同級生が営業職に就く人が多かったので、「普通に働くのは面白くない!」と感じた泰成さんが選んだ職業はテレビの制作会社。ADとして勤務をスタートした。

「テレビ業界って尊敬できる人もいれば、マジでクソみたいな上司もいれば、仕事を全くしない人もいる。いろんな人がいて面白かったです(笑)さんまさんが大好きで、さんまさんと仕事できるまでこの仕事を続けようと思っていました」

担当番組は、フジテレビのバラエティ番組。27時間テレビの際にさんまさんと出会えて仕事ができたという。嬉しさを感じながらも、目標を達成したことでテレビ番組の制作会社を辞めることを決意した。

「何か次の目標を決めたいと考えたときに、大好きだった世界の果てまでイッテQを思い出し、自分の足で世界を知りたい!たくさんの人と触れ合い、体感したい!と思うようになり、日本縦断を決意しました」

日本縦断中に「知らない自分」を知った

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日本最北端の宗谷岬にて


2020年7月9日
。この日、泰成さんは日本最北端の宗谷岬にいた。自転車や車やバイクで日本縦断をするのはありきたり。座右の銘に反する・・・。人との出会いを軸に置き、徒歩とヒッチハイクでおこなうことに決めたのである。

実際に旅を始めてみてわかったのが、自分の中のネガティブな部分だった

頼れる友達がいない
車になかなか停まってもらえない
宿がない
梅雨も重なってか、気分も乗らない

その時に、当たり前にあった“日常の中のありがたみ”を強く感じたという。

「ホテルがない地域もあって、そういう時はネットカフェに泊まったり・・・ネットカフェもなければ野宿していました。野宿中に思っていたのは屋根があるのってすごいなぁ。雨に濡れずに寝られるもんなぁ・・・とか(笑) あと、一人でずっと歩いてたり行動していると人が恋しくなるんです。だから車で送ってくれる人と車内で話せる時間はとても嬉しかったです」

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日本縦断をしている最中、何度も「自分に最後までできるのだろうか」と考えたり、「やめたい」と思ったという。しかし、一歩ずつゴールに向かって進み続ける中でたくさんの人との出会いがあった。その度に感じたのは「人ってほんとにエネルギーがあって、パワーや優しさがある」ということだった。

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たくさんの人に支えられ、救われながら泰成さんが日本最南端の波照間島【最南端平和の碑】に辿り着いたのは、日本縦断をスタートしてからちょうど100日が経った10月21日のことだった。

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日本最南端の波照間島【最南端平和の碑】にて


ゴールした途端体の力がフッと抜けたという。その時に浮かんだのは、旅で出会った方々と、両親の顔。「人は人に支えられて生きている」と心の底から思い、感謝の気持ちが溢れた。

「これから何をするかはまだ決めていないけど、挑戦し続ける人生を送りたい。いつまでも子ども心を忘れずに、夢中になってやりたいことを追求していきたい!」と泰成さんは決意したという。

一般的に「人とのご縁を通じて、知らない世界のことやチャンスがやってくる」と言われる。泰成さんはこの日本縦断中に出会った方とのご縁からスナック「新宿天幕」のマスターになった。

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「ぼくお酒飲めないんです。だから、お客様から“おすすめのお酒は何?”って聞かれても、隣の人に聞いてください!って言ってました(笑) スナックっていろんなお客さんがやってくるじゃないですか?それがとにかく楽しかったですね」

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どん底を知る人生の先輩がくれたワクワク

このスナックを2021年9月末に辞めた後、失業保険をもらいながらこれからの生き方を考えていた。ここであらためて気づいたのは、趣味がないこと。「身近でできて、長く楽しめるものはないか・・・」と考えていた時に、ある情報に飛びついたのだ。

「キングコング西野亮廣氏が主催するオンラインサロンに入っていたんですけど、タケさん(オールド不動産の代表である竹越達哉)がサロンメンバーの方々とゴルフをされていたんですね。これだ!と思って飛び込んでみました」

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ゴルフは毎月行われていて、車の送迎を担当していたのも竹越達哉さん
車内4〜5人で話す中で、泰成さんは竹越さんの人柄に惹かれていったという。

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泰成さんと竹越さん

「なんでこの人は50歳でこんなに人生を楽しめているんだろうと思いました。話しているうちにわかったのが、どん底を経験してるからなんだなと。どん底を知っているから1日1日が当たり前じゃなくて、ありがたいものであるということを心から思っているのが伝わってきたんです」

日本縦断で得た「当たり前にあることは、当たり前じゃない」という価値観がここでシンクロした。また、竹越さんとの大きな共通点として野球に打ち込んだ過去がある。

「チームとしてゴールを目指したい」
「逆の立場に立って、相手に接したい」

こういった価値観がピッタリとマッチしたことで、2021年12月から3ヶ月間、リノスペのアルバイトとして勤務をスタートした。

週に2回100件ほどテレアポしてました。レンタルスペース事業をするには、物件を探すことがとても大事になるんです。実際に事業に携わってみる中でレンタルスペースが次々にできていくし、タケさんが日本一のレンタルスペース事業をやる会社を目指しているのにワクワクしました!」

2022年3月のある日のこと。
アルバイト期間を終えるタイミングと、毎月のゴルフの日が重なった。

ゴルフを楽しみながらも、泰成さんの頭の中にはもう、「他の会社で働く」という選択肢がない。リノスペで働き続けたいと伝えたらなんて言うだろうか・・・? 

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そんな緊張感を抱きながらのゴルフ。その帰り道は偶然にも竹越さんと車内で二人になれた。

「リノスペで働きたいです」

泰成さんがこの言葉を口に出そうと思ったその時、竹越さんが先に口を開いた。

「一緒に働かないか?」

と。

「めちゃくちゃ嬉しかったですね。今言おうと思ってたんです!!!!って言いました(笑) タケさんとはビジョンやミッションの意思疎通ができているので。入社後も毎日楽しくゴールを目指して働けています」

レンタルスペースとお客様をつなぐための秘訣

各レンタルスペースにはコンセプトがある。だからこそ自然と「この場所はこういう人たちに利用してもらいたい」という想いもあるという。

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泰成さんは管理責任者として、そういったレンタルスペースごとのコンセプトが伝わりやすくなるように予約サイトの写真やオプション、プラン、タイトルなどについてこまめに設定を入れ替えている。

「予約はWeb上で行われるので、お客様が知りたいことはあらかじめ載せていないと伝わらないですよね。だからやり出したら終わりがないですけど、そういう小さなコツコツを積み重ねて予約の通知が入った時、やった!!!と心から思えるんです」

このマインドは、野球時代に培ったという。泰成さんは「野球選手は研究者である」ととらえていた。

中学生時代のある日のことである。

ホームランを打つにはどうすれば良いのかを考える際、いろんな選手のバットの振り方や細かい体の使い方を研究し、自分の動きとのズレをチェック。そこに気づいて、修正していたというのだ。

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中学生の頃


小さなコツコツを繰り返して土台を作る。レンタルスペース事業でもこのコツコツを発揮し、努力して作り上げたレンタルスペースとお客様をつなごうとしているのである。

主体性が育まれたある習慣とは

「入社当初のある日、失敗はどんどんして良いから。どれだけ動いたかだよってタケさんに言ってもらったんです。そういった環境からか、社内には指示待ちの人がいないですね。自分であれこれ工夫して考えてやりたい自分の性格にもマッチしているなぁと感じます」

即戦力を求める企業は多い。社会人になると「自分で考えて行動するように」とも言われるが、泰成さんの主体性が育まれた背景をインタビューで知ることができた。

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小学生の頃、お父さんと

泰成さんが小学生低学年だったある日のこと。この日、大切にしていたオモチャを無くした。「どこに無くした?」と声をかけてくれる父。その父に「知らない」と答えた。すると「本当に探し切ったの?もっと考えて探し尽くしてみなさい」と言ってくる。正直にいうと、「一緒に探してよ!」と思っていたのだという。

「父はずっと、まず自分で考えてみなさい、調べてみなさいという姿勢で関わってくれていました。そういった環境で育ったので、社会人になってからもまず自分で考える習慣が身に付いていたのだと思います。リノスペでは、ゴールに向かってこれをやった方が良いと思ったことはトライしてみる。そしてフィードバックを受けながら仕事しています。なので、自分で考えるのが好きな人には特にマッチする職場だと思います!自分で考えるが苦手という人には、父がぼくにしてくれたように“どうしていけば良いと思う?”と問いかけながら一緒に前に進んでいきたいと思ってます!」

リノスペを通じて目指したいこと

泰成さんが大事にしているのは、「お客様も会社もレンタルスペースも、関わる全ての人が楽しめたりやりがいを感じられる場所を作ること」だ。

「簡単にいうと、平和な場所をつくりたいです。仕事って人と人がつながって成り立っているじゃないですか。レンタルスペースをご利用いただくお客様はイベントやチャレンジをされてつながりを大切にされています。お客様が周りの方々と素敵な思い出を残していけるようにしていきたいです」と泰成さんは言う。


レンタルスペースはまさに人と人とのつながりを作り、深められる場所だ。ご利用いただくお客様とそこに関わる方々の人生がさらに豊かになっていくために欠かせないのである。

「新しいことにチャレンジできる場所が欲しい!」
「みんなでこんなことを楽しめる場所が欲しい!」

そう望むお客様とのつながりを日々コツコツと作り、活動をサポートすることで、「レンタルスペースをカルチャーにする!」というリノスペのゴールに辿り着ける・・・。泰成さんはそう確信しながら今日もゴールに向かって仕事に取り組んでいる。

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職場にて竹越さんと
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special thanks!

浅草ホテル結のや 下川 真宏

大勢の皆様、ありがとうございました。